師匠と弟子7(短編小説)(6章 暴動の炎)関西人の公演に行き、関西人と師匠と、そして私は明け方まで飲んで、生まれて初めての二日酔いというものになってしまった。どうにも頭がガンガンするし、体がだるい。台所に行って冷たいお茶を何杯か飲んで、ようやく正気に戻り時計を見ると、思わず叫んでしまった。「やばいっ!」そう、すでに本屋のアルバイト開始時間、10時の5分前。携帯からすぐに師匠に電話をかける。「す、すいません!今起きたところでして…準備してすぐに向かいます!!」「あぁ、そうかい。どうせ二日酔いだろう。少し飲ませすぎてしまったかな。昼過ぎにでも到着したらいいさ。」「あ、ありがとうございます。できるだけ早めに向かいます」そう言うと私は大急ぎでお風呂をためる。なんだか体からアルコールの臭がしていそうな、そんな気がしたのと、汗をかけばアルコールが抜ける、と何かで聞いたことがあったからだ。結局12時にバイト先の本屋についた頃には、ある程度はシャンとしていたので、私はそこそこアルコールには強い体質だったようだ。当然ながら体の怠さはまだあるのだけど。師匠に開口一番、謝罪しようとすると、それを遮るかのように師匠が言う。「すまないが・・・・私も二日酔いでね。年を考えずに飲み過ぎたようだ。ちょっと二階で休ませてもらうよ」この日は二人ともいささかゲンナリしてテンションが低く、来る客も少なく、黙々と閉店作業をして、師匠にひと声かけて家路につく。道をボーッと歩きながら考える。昨日、師匠と関西人と同じ時間、おなじ感覚を共有して、それは私にとってどれほど楽しい時間だったろう。少し饒舌になっていた師匠も、きっと同じ気持で、だからこそ飲み過ぎたんだろうか?そう考えると私は少し嬉しくなった。いつもの日常、知り合いとの充実した時間というスパイス、不思議な連帯意識、明日も頑張ろうと思えるのは、平和な暮らしがあってこそなんだな、などとキザったらしく噛みしめるふりをする。あとは家に帰って、夕食を食べて、部屋に入ったらテレビをつけっぱなしにしながら、眠たくなるまで過ごす。そうやって今日一日が終わるはずだったのだ。夕食を食べてから部屋に戻ったのは21時過ぎだった。お気に入りのアニメ「アルスラーン戦火」の時間にはまだ少しある。適当にテレビのリモコンでチャンネルを変えつつ、面白そうな番組を探す。なんだ?速報か?「先程、東京都新宿区で外国人労働者が続々と集まっております。暴動のおそれがあるため、外出は控えて下さい。繰り返します・・・」「先程、大阪府北区でも外国人労働者が続々と集まっております。暴動のおそれがあるため、外出は控えて下さい。繰り返します・・・」呆然と速報を眺める私に、携帯電話が鳴り響く。師匠からだ。「今は家か?ちゃんと帰れたのか?無事だったならよろしい。間違っても興味本位で外出するんじゃないぞ」心配をしてかけてきてくれたんだろうが、師匠の切羽詰まった声が余計に不安を煽る。「あの・・・・これは・・・・どうなってるんですか?」「詳しいことはわからん。とにかく外出するんじゃないぞ!明日は店も休むかもしれん。また連絡するから大人しくしてなさい」嫌な予感が全身を駆け巡る。一回に降りて母に不躾に聞いた。「父さんは?まだ帰ってきてないの?速報で外出は控えるようにって・・」「いまお父さんに電話したわ。心配するなだって。そんなこと言われてもねぇ」昨日までの関西人との会話を必死に思い出す。「中国人労働者も、低所得層はそろそろ限界やで」「暴動が起きるかもなぁ」「暴動が起きたらどうするかって?とにかく家族の安否の確認。あとは外出せんことや」「家の鍵は閉めること、自分と家族の安全が一番大事や。あとはそやな、情報収集やな」携帯がまたけたたましく鳴る。一瞬ビクッとする母。緊張する私。着信は関西人からだった。「お~自分も無事やったか。良かった良かった。昨日飲みに連れて行ったから、もしかしたらまた行っとるんちゃうか?おもてな~。ちょっと心配しててん。」「あの、関西人、今どこに?」「お、いっちょ前に心配してくれるんか。ようやくホテルにたどり着いたとこや。歓楽街の連中も無茶苦茶殺気立っとるで。ほんまかなわんわ。」と素頓狂にケラケラ笑いながら言う関西人に、すこしばかりイラッとしたのは事実だが、それよりも安堵のほうが勝ったのは言うまでもない。母には家の鍵をかけて扉を閉めておくことを伝えて、二階の部屋でPCの電源をつける。開いた先は2ちゃんねるの実況板。多分ここなら、だれかお調子者が実況しているはずだからだ。「新宿暴動キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」「マジヤバスwwww中国人殺気すごすぎwwwww」「俺の車凹ましたやつ手を上げろ。マジ逝ってよし!」「ちょwww数増えてきてるんですけどwwwwヤバくね?」「安全な帰り道キボンヌ」「いまどきキボンヌなんていつの時代だよオッサン、逝ってよし」「エロイ人、どうなるか教えてクレメンス」「おれ、明日結婚するンゴ、家の恋人が心配ンゴ」「死亡フラグ乙」「((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル」くだらないレスは読み飛ばすとしても、画像もどんどん投稿されている。テレビでは相変わらず速報で「外出を控えて下さい」としか出ないけど、画像ではもう暴動の恐れではなく、正真正銘の暴動になっている。車はひっくり返され、手には鉄パイプやパールのようなものを持った人たちも写っている。店の看板は割られ、高そうなショーケースときっと高かったであろう中身は、無残な姿を晒している。実況スレによると名古屋、大阪、東京などの大都市圏で同時多発的に暴動は発生し、多数の被害者も出ているとのことだ。他の板もくまなくチェックしてみると、VIP板で複数の固定ハンドルネームが暴動を議論するなんてスレがあった。ハンドルネームは「影師」「みぬりん」「うずっち」「SJ」「ヤンやん?」etc・・・周りのレスからすると、ハンドルネームの人たちは2013年くらいから、ずっと活動している人たちらしい。レスの内容を辿って行くと、どうも彼らが言うにはこういうことらしい。2012年に安倍晋総理の政権になり、グローバリズム、新自由主義に過激にかじを切った結果、2016年から移民政策やTPPが拡大され、2018年に政府は移民規制のさらなる緩和に踏み切り、2020年には中国人移民だけで1000万人を突破する。しかし初期には高技能人材、高度人材といわれていたものは、全くの嘘であり、本当は中国の低所得層、貧民層が違法なブローカーなどに多額の借用書を書かされて、日本にやってきている。当然ながら日本語も喋れず、満足な仕事につけるはずもなく、借金の額も増えていくばかりで、ある種の貧困ビジネスの様相になっている。またそのブローカーに中国政府が絡んでいるという噂もあり、中には中国人スパイ、工作員が混じっているであろうことは確実だという。今回の暴動には中国政府の意向が絡んでいる可能性が高く、そうだとするなら尖閣諸島への中国の進出と実効支配、これがこの機に行われる可能性が非常に高い、ということらしかった。昨日までの私なら、そう昨日までの私ならば「そんなバカな!陰謀論だろ?」と一笑に付していただろう。2階の窓から東の空が、わずかに赤く燃えているのがわかる。遠くから消防車の音、救急車の音、パトカーのサイレンがけたたましく、ひっきりなしに鳴っている。マスコミのヘリが空を飛び回り、TVのニュースではどのチャンネルも暴動を報じている。「本日午後9時過ぎ、東京都新宿区で外国人による暴動が発生しました」どのテレビ局も判で押したように外国人と報じ、どこも中国人とは報道しない。スタジオでは自称専門家や評論家と思しき人が、薄っぺらい解説をしながら厳粛な顔持ちで深刻ぶる。「日本の企業側にも、対応の不備があったのではないでしょうか?」「日本語ができなくても、企業は雇うべきだったかもしれません」私の中で育んできた価値観が、ガラガラと崩れ去る音がした気がする。移民なんてたまに事件を起こすだけだと思っていた。日本はどこの国より平和だと思っていた。そしてテレビではまだそう言っている。明日の新聞では一面を飾るだろう。号外だって出るかもしれない。でも大半のメディア、そして日本人はこの事件を1ヶ月後には風化させてしまうに違いない。今まで現実と思っていたことは、作られた虚像に過ぎなかったのだ。そう、平和だと信じたい私と、多くの日本人たちによって作られた偽りだったのだ。師匠のあの、面接の時の言葉が浮かんでくる。「知性とはなんだい?」空虚なテレビのニュースキャスターの叫びに似た偽善と、淡々とレスを重ね、静かに現実を訴えかける掲示板の向こうにいるあの人達。スレは静かに熱を帯びて、名無しの住人同士が相談し始める。何をするべきなのか?何をすればいいのか?ある者は官邸のメールアドレスにメールしようと提案し、ある者はデモをしようと訴える。ある者は拡散するためのビラをデザインしたり、投稿された画像を保存したりする。夜空が暁に染まり、空気がチリチリとする夜は、狂気と殺気を螺旋のように渦巻きながら更けていく。2025年8月25日夜更け、私の後戻りできない非日常はこうして始まったのだった。2016.08.22 15:43
師匠と弟子6(短編小説)(5章 関西人の講演)奇妙な本屋に出入りする関西人に、講演を聞きに来いと誘われたのは昨日のことだ。なし崩し的に受けてしまったのだけど、いざ行くとなるとやはり正直足が重い。折角の休みで、家にいくらかお金を入れても遊べるお金はあるし、あのひょうきんな関西人の講演を聞きに行くくらいなら、友達でも誘って遊びに行ったほうが…と思ったのだけど、友達は全員就職していて忙しく、そもそも最近は就職に失敗した引け目から、全く連絡していなかったことに気がつくのに、大して時間はかからなかった。全くもって朝から憂鬱な事実に気がついてしまったものだ、と一人つぶやきつつため息を吐く。しょうがない、講演に行くかと重い腰を上げる。名刺と一緒にもらった講演の案内を見てみると、昨日のホテルじゃないか。あれだけ酔っ払っても関西人が、余裕しゃくしゃくだったのも恐らく、このホテルに部屋をとっているからだろう。あの関西人は金持ちなのか?そうなのか?そういえば、昨日のラウンジも目玉が飛び出るほどの値段でびっくりしたのを、ケラケラとこっちを見て笑っていたっけ?などと思い出す。講演はお昼の13時から。まだ時間に余裕はあるし、父も母も今日は家にいない。ありあわせの材料で軽く朝食を作るために台所に入る。冷蔵庫に入っているパンにとろけるチーズ、きゅうりの千切りとレタスのグリーンサラダ、そして牛乳。簡素な食事を作っている時にふと気になる。「牛肉はそもそも使ってないから、BSEとか関係ないよな?」なんとなく材料の裏の表示を見ると「チーズ(問合せ)」「小麦(問合せ)」という文字がある。何のことだろう?今まで気にしたこともなかった。グリーンサラダには青じそドレッシングをかけて、そして牛乳とパンを頬張る。目玉焼きも作りたかったんだけど、今日は卵の在庫は我が家にゼロだからしょうがない。料理は母が「料理くらい出来ないと、将来一人暮らしした時に一人前とはいえない」と教えてくれた。小学校4年生から台所で手伝いはしているし、時々は母と父に料理を作ったりもしていた。母はそのたびに褒めてくれたが、父は仏頂面で美味しいとは一言も言わず、黙々と食べているだけだったのは、母に言わせるといつもの光景らしい。家庭料理位ならいつでも作れるし、少し小洒落たものなら、母よりは上手く作れる。例えばペペロンチーノとかね。大学時代のほんのひと時の彼女、どうしているか。一度だけ両親の旅行中に家に遊びに呼んで、ご馳走したっけか。随分と喜んでくれたことは覚えている。もっともその3ヶ月後には別れたんだけれども。そんなことを思い出しながら、街中をブラブラしながら講演に向かおうか、と家を出る。相変わらず鬱陶しいくらいに、夏の太陽は頭上からこれでもか!と照りつける。汗が吹き出し、散歩とかブラブラするというのが、この季節には似つかわしくない単語だと改めて思う。夜の歓楽街を通り抜けると、昼間はこんなにも人気がないのか、というくらいに人気がない。風俗の呼び込みがダルそうに、そしてやる気なく突っ立っている。あれだけ昨日の夜は騒がしかった歓楽街、昼間はこんなものなのか?と思いながらも、ホテルの方に少し急ぐ。あまり良くない人相の連中が、ちらほらと視線に入るから、と言うのが大きな理由だ。ホテルの前につくとちょうど12時30分。まだ時間もあるしどうしようか?とホテルのロビーで考えていると、後ろからまたもや不意に声をかけられた。もっとも関西人みたいなチャラい感じではなく、聞き慣れたあの声だ。「なんだ、お前さんも来たのか」師匠は静かに横に座る。ため息をフーっと吐くと、まったく、といった表情を見せながらこう聞く。「講演の内容は知ってるのかい?実はね、私も出るんだよ」青天の霹靂とはこのことで、というよりも講演のチラシは見ていたし、何名かが出演するのは知っていたけども、今更ながらに師匠の名前を知らないことに気がつく。他の客も関西人も「師匠」とか「店長」とかしか呼ばないし、私もほとんどは「店長」で済ましていたのだから。そしてもう一つの驚きは、師匠が人前でしゃべるということだ。この寡黙な人が、人前で本当にしゃべるんだろうか?などと心配すらしてしまいそうなくらいに、驚いた。そうこうしている内に師匠に会場に案内され「まぁ楽しみなさい」とだけ言われ、パイプ椅子に座る。なかなか前の方だな…などと思って周りを見渡すと関係者席と書いてある。確かに関係者では有るんだが、ここに座っていていいものかどうか?というと非常に微妙で、居心地ははっきり言ってかなり良くないし、落ち着かない。関西人がそんな私の居心地など知ったことではない、という風に突然に登壇する。「いやぁ~皆今日は集まってくれてありがとうな~。今日の予定はパネルディスカッションやら、自分・・・じゃなかった私の講演やらやで。ほんでゲストとして何人か来てくれてるから、ソッチの方も楽しんでな~」登壇した時に驚いたのだけど、昨日と同じ甚平だ。この関西人はTPOとかマナーとか知らないんだろうか?いや、それ以前になぜ甚平?と思ったのだけど、講演の客でそれを問題視するような視線は1つもない。そういえば師匠は先ほどあった時にスーツを着ていたし、なかなか様になっているような、そんな気がした。老紳士、そんな言葉がピッタリ合うような、そんな雰囲気だったように思う。あのチャラい関西人には、甚平がお似合いなのかもとも妙に納得がいった。そうしてこの奇妙で縁のある講演会は始まりを告げたのだ。途中で専門的な用語なども出てきて、正直すべてを理解したとは言いがたいのだけど、それでも講演の趣旨は理解が出来た。つまり移民政策をどうするのか?ナショナリズムという土台が崩れれば、近代国家は立ち行かない、TPPによって日本農業は壊滅的な危機にある、そしてそれらを是正するには民衆、大衆の力が必要なのだという内容だった。驚いたのは、印象として師匠も、そしてパネリストも、関西人も右翼と呼ぶには程遠いということだった。マスメディアは連日のように移民容認論、多文化共生論を唱えていて、それに反対する存在は全て右翼的とされていたけれども、私が見ても彼らのパネルディスカッション、主張は非常に穏やかで、そして静かな熱さと知性を物語るものだったと思う。中には食卓の話も出てきた。TPPによって農業が壊滅的なこと、危ない食品が入ってきていること、BSE牛肉の中止は民意に政府が押されてということ、食品表示法で原産地すら記載できなくなったこと。他にもグローバリズムによる政治の破壊、99%対1%という話、その変化の過程、過去にどうなったのか?話が濃すぎて追いつけないのだけれども、それでも日本が今、本当にまずい状況になっているということだけは、心の底から声が聞こえてくるようだった。私でない私の根源的な何か、それが呼び起こされ、揺さぶられ、刺激され、熱くなり、熱を帯びて再び揺さぶる。連鎖的に、いや会場の空気のせいも有るのだろうか。しかしこれは空気のせいだけじゃない、そのことだけは断言が出来る。講演が終わったあと、楽屋から関西人が出てきて私をまたもや誘った。この時の関西人は私にはすでに、本屋であった奇妙な関西人ではなく、知性と愛嬌を持った存在として目に映っていたのは言うまでもないだろう。楽屋に入り、お疲れ様でした、凄く良かったですと伝えると、師匠が穏やかで、静かで、そして優しくて枯れた目でこう言う。「・・・・・・しょうないな。まったく。知ることを知ってしまったか」「ただし、のめり込み過ぎないようにな」関西人はケタケタと笑いながら「師匠、悲観的すぎやて!大丈夫やって」と相変わらず軽口を叩く。彼はにこやかで、チャラいノリで、軽くて、愛嬌があって、そしてそのベールが私の目を曇らせ、彼の奥底にある情動と、悲壮なまでの覚悟を覆い隠していたのだと思う。関西人に誘われ、歓楽街の飲み屋で、師匠を交えて私たちは話した。師匠は酒が入ると少し饒舌になり、色々と優しく解説したり、教えてくれたり、そして時々悲しそうな目をしたり。関西人はハイテンションに、そしてそれはこちらを気遣ってくれているかのように、私と師匠と関西人は朝まで話したのだ。飲み屋を出た時はすでに太陽が、そろそろ今日も仕事をするといった感じでギラギラし始め、歓楽街の空気は淀んで人気もまばらになり、夜明けの青白さと太陽の暑苦しさが同居する、不思議な空間だった。ぬめりと感じる空気、静寂さ、そしてこの楽しい思い出を私は一生忘れることはないだろう。酔いどれ、ふらつきながら、師匠に家までタクシーで送ってもらうほどに厄介をかけ、楽しくも儚げな、そんな一夜が人の人生を左右するなんて、そんなことは思いもしないでベッドに入り、幸せを噛み締めながら、そして熱く動いた自分の心に充足しながら眠りに落ちる。明日はきっといい日に違いない。そう、私は思い込んでいたのだ。2016.08.21 17:18
師匠と弟子5(短編小説)(4章 牛丼屋から牛肉がなくなった日)今日は1週間ぶりになにもすることがなく、だからといって何か予定があるわけでもなく、あの奇妙な関西人にあってから数日、彼のことははっきり言うと記憶の片隅にわずかばかりある程度だ。生で関西人を見たのなんて初めてだったし、大学では関西人も標準語が普通だったので中々のインパクトだったわけだが、それも少し驚いた、と言う程度だった。自分の部屋で何気なくTVをつけると、ニュースが入ってくる。どこで交通事故だとか、どこで事件があっただとか、その事件は移民だったとか。そんなくだらないことばかり…と思った瞬間ニュースキャスターが告げる。「日本政府はアメリカの再びのBSE問題で、牛肉の輸入停止措置を取りました」BSE…なにか聞いたことがあるなと思いネットで検索すると、ツイッターではえらい騒ぎになっているようだった。なんでも牛丼屋から牛肉が消えるだって?そんなバカな、と思いつつ調べるとどうも狂牛病というやつらしい。なんでもその牛肉を食べると脳みそがすかすかになるだとかなんだとか…中々怖い話だ。とは言ってもそんなにはこの時は驚かなかった。2008年のリーマン・ショックから世界は立ち直ったし、相変わらず極右の政党が欧州やアメリカで頑張っている、とは言っても日本政府だって既に移民を受け入れて7年。街のアチラコチラで中国語を聞くようになった以外は、時々移民が事件を起こすってことくらいだ。特にやることもなく、街に散歩に出てみる。真夏の太陽はカンカンに照りつけ、うだるような暑さなのだけど、本屋のアルバイトと部屋の往復でクーラーに慣れきっていたので、むしろこの暑さが心地よいような気さえしていた。ふと騒がしいので目を向けると、牛丼屋の前で中国語がけたたましく聞こえる。どうやら店員の対応を聞いていると、牛丼の値段が上がったことに、複数の中国人が束になって難癖をつけているようだった。「まったく…たかだか数十円のことでよくやるよ。この糞暑い中で」そうつぶやきつつ、流石に暑くなってきたので公園の噴水の縁に腰掛ける。途中で買ったミネラルウォーターを飲みながらボーッとしていると、不意に後ろから声をかけられる。「よ!本屋の少年!なんや元気なさそうやな!!」驚いてとっさに出た言葉が「まだいたんですか」だったのは、後から考えると相当失礼だが、関西人は意に介さず「あちゃぁ~自分酷いな!おってもええやん?あかん?ええやろ~少年?」と大げさにさみしげな顔を作り、こちらの顔を覗き込んでくる。やや呆れつつ「少年なんて名前じゃありません」と冷たくあしらうと「ほな自分名前は?」とこの調子だ。ぶっきらぼうに名前を告げると、演技でもここまで大げさにはしないぞ?という調子で「えっ?自分も高橋なん?ホンマ?うわ~被っとる!自分で自分の名前を呼ぶのもなんかなぁ…もう少年でええやろ!なっ!?」なんのために聞いたんだ!と思わずいいそうになったが、それを言わなかったばかりに彼はずっと私をそう呼ぶことになるのだ。もっとも意趣返しに私は彼を関西人、と呼び続けることになるのだけれども。関西人は相変わらず甚平姿、もっとも本屋の時とは柄が変わっていたが。そしてウェストポーチという格好だ。彼からお茶に誘われ、特にやることもなく涼みたかった、という不純な動機で誘いを受けることにした。連れいていかれたのは、なにやら高級そうなホテルのラウンジで、彼は真っ昼間からビールを頼み、私にも聞いてくる。「二十歳超えてるんやろ?ビール飲む?カクテルでもえーで?まぁソフトでもええけど」丁重にお断りしてコーヒーを頼む。メニューを見て値段にギョッとしたのを関西人はケラケラと屈託のない笑顔で笑っていた。ビールが運ばれてくると関西人はいの一番、グビグビと飲み「ぷはーっ!」と気持ちよさそうに声を出す。こんな高級そうなラウンジで、そういう飲み方でいいんだろうか?そもそもホテルに甚平とウェストポーチってどうなんだろう?と頭のなかに疑問がよぎるのを遮るように関西人が言う。「少年、牛丼屋の騒ぎ見た?ほら、公園からすぐのところの」素直に店員も大変そうですね、あんな数十円のことで、と返すと彼はやや深刻そうな顔をしてこう言う。「これ、広がるで。中国人が移民でいっぱい来とるの知ってるやろ?あれな、政府は未だに高度人材とか言うとるけど、低所得層で日本語喋れんやつ多いねん。んで東京やとあまり知らんやろうけど、地方とかやと中国人のスラムっぽいのもあるし、東京でもそういうところ、何箇所かあるやろ?低所得層の中国人の生活、ひどいもんや。日本語ちょっとしか喋られへんから、仕事かて限られる。3Kって知っとる?汚い、きつい・・・・あともう一個なんやっけ?」私が「危険です」というと「おお、そやった、そやった!少年よう知ってたな」と言いながら関西人は話を続ける。「そんでな、奴ら豊かになれるおもて日本にきとんねん。でも物価も違う、仕事は選ばれへん、しかも使い捨てにされるわけや。給料かて良くない。そやから中国人は狭いアパートとかに数人ですんで、食費とかも結構ギリギリなんちゃうかな?国への仕送りもあるしな。要するに不満タラタラになっとるねん。もうそろそろ臨界点なんちゃうか?そんでここに牛丼騒動や。安い!美味い!早い!が値上げしたわけや。ヘタしたら低所得層の中国人の唯一の娯楽やで?牛丼。」「どうなると思う?」チャラチャラしていた関西人が初めて見せた深刻そうな顔に、やや戸惑いつつも「わかりません」と答える。「せやろな。でも多分えらいこっちゃになるで」そう言うと関西人はため息を付いて遠い目をする。と思った次の瞬間にはニカっと笑いながらこう言う。「せや!明日、自分休みやろ?俺、講演するねん。チケットあげるわ!暇やったらおいで!特等席用意しといたるしな。笑いあり、知識ありやで~?」本屋の客には大学教授もいるし、彼が講演をするような人というのはある意味で慣れた驚きだったが、講演も甚平姿なんだろうか?とか笑いだとか、そこら辺にいじわるな興味がいって承諾すると、彼は最後に名刺を渡した。「日本のコンサルタント」聞いたこともないような職業だしと少し考えたが、この関西人には困惑させられっぱなしで、いまさら困惑したところで意味もないだろう、と自分を納得させた。随分と長いこと話し込んでいたようだ。関西人はビールをしきりに頼み、一体何杯飲むんだ?というほど飲んでいたが、口調はしっかりしていたので大丈夫だろう。大体、酔っ払ったフリなのか本当に酔っ払っているのか?彼のキャラクターを考えてみるときっとフリなのだろうと思った。帰路につく頃には、街はネオンで煌々と照らされ、下弦の月が存在感なく宙にポッカリと浮いている。気温は下がり汗ばむ程度ではない、それでいて熱気を街に放っていた。街は酔っぱらいと中国語がけたたましく騒ぎ、シラフの人々は足早に家路を急いでいるようだった。彼が言ったようにもしも真実が、オブラートにくるまれているだけだとしたら。人々がそれに気づかないふりをしているだけだったら。ふとそんな思いが頭に去来する。気が付かないほうが幸せだったかもしれない、気がつかない幸せもある。そんなふうに思えるほど達観してはいなかったし、老いてもいなかったのだ。この頃は。2016.07.28 09:01
師匠と弟子4(短編小説)(3章 人生の幸せは食卓とベッドの上にある)最近は少しずつ本を読んでいる。友島さんに進められた本の内容は刺激的だったし、理解しやすく、かつ色々なエッセンスが散りばめられていると言う意味で、まるで知性のアトラクションと言っても良いものだったと思う。あれから友島さんとは色々話をするようになったし、常連の客とも簡単な会話や挨拶はするようになった。時給の低さなんてものはあまり気にならないし、そもそも実家で生活しているので月に13万円も稼げればそれでいい、という実家への甘えもあり色々と読んでは質問し、知的好奇心を満たす生活が続いてた。ただ経済の話は常連に質問してみても、よくわからなかったというより、大学の経済学部で学んできた内容と乖離していてにわかに思考しがたい、というのが正直なところだった。例えばこうだ。常連同士が自由貿易のことについて飲食スペース、いや飲食スペースになってしまったのであろう所で議論していたが、当然ながら私は「自由貿易はいいものだ」と思っていたし、リカードの比較優位論からもそれは自明だと思っていた。しかし耳を澄まして聞いていると、何故か自由貿易の話から国際金融の話になっている。私はレジから飲食スペースに近づき、常連に質問をしてみた。「リカードの比較優位論からも、自由貿易はいろいろな国を豊かにするのでは?」常連の答えはこうだ。「あまりにもリカードの比較優位論は素朴すぎて単純化しすぎている。国際政治学、社会学的には正直どうかな…」彼が言うのはこうだ。仮に比較優位が成り立ったとしても、それはその国の産業を特化させるということじゃないか?そうすると国民の需要は誰が満たすんだ?一国の独立はそれでなるのか?そもそも国際社会学的に理想主義として経済依存で戦争がなくなるというが、第一次世界大戦前のドイツとイギリスは確か戦争前まで貿易はお互いに1位と2位だったはずだぞ?歴史的には先進国は保護主義的な貿易政策を経て先進国になったわけで、歴史上自由貿易によって先進国になった国というのは…そうだな、中国を先進国と定義するならいくらでもあるがその定義は正しいのかい?そもそも先進国の定義とはなんだい?私は思わず「ちょっと待ってください…色々いわれすぎると理解が」と言葉を遮ると常連は「はは、それもそうか」とようやっと講義の時間が終わったようだ。まったく、これだからここの常連はと、心のなかではそう思いつつ色々と考えてみる。と考える前に「そう言えばもう一人の議論の相手はあまり見たことがない人だ」と気づくのだが不思議な感じのする人だ。いや不思議な感じがするというより、夏のこの暑い時期でも本屋に甚平で来るというのがそもそも変わっているし、年齢もどうも読みづらい。20代後半にも見えるし、30代中盤にも見える。師匠とおんなじ煙管をふかしながら、静かに、そして興味深そうにこちらをマジマジと観察している感じだ。と、そこに師匠が二階から降りてきた。「いや、すまんね遅くなって。ところで対談内容は決まったのかい?なんちゃら動画…なんと言ったか…まぁその動画のためのリハだろう?」どうやら甚平姿の彼に声をかけているようだ。「いやぁ、すんません!三幣さんとは東京でしか会えないもんで。ここ使わせてもらってます。相変わらずお元気そうでよかったですわ。東京はここしか知らんもんで」関西弁か…きっと大阪から来た人なんだろうけど、動画ってなんだ?だとか色々疑問が湧いてくる。というか大阪から来たのに荷物がウェストポーチ1つかよ!とか思ったのだけど、よくよく考えて見ればきっとホテルに寄って荷物をおいてきてるんだろう。というかもう一人の常連の名前は三幣というのか、などと彼の素頓狂に明るいキャラクターと、師匠の知り合いだという事実と、大阪人ということでどうも理解が全く追いつかない。「あの、師匠?この人は大阪からで?」と聞くのが精一杯だったのだが、師匠が答える間もなく大阪人の彼は「そやで~。なんや珍しいか?」と茶化し気味に答えてくる。「しかし師匠さんまた若い子入れたなぁ」「なんや、あの~続いてるの珍しいなぁ、こんな本屋で」「師匠さん、もうちっと雇ってる子に喋ったらんと、可哀想やで?」さっきまでの私を観察する瞳は何だったんだろうというくらいに、この大阪人はしゃべりまくる。はっきり言うと今までの常連にいなかったタイプと言えるし、あまり私もこの手のタイプは得意ではない。ただその若めのノリとおちゃらけた雰囲気は、質問すると講義や議論にある常連たちとは明らかに異質で、学問畑の人間とも思えない雰囲気だったというのは正直なところだ。と、ここまで考えている間にようやく大阪人のおしゃべりが途絶えた。師匠は?というと「ウンウン」と頷いていただけだし、もう一人の三幣さんと言ったか、彼も「ウンウン」と大阪人の話が途切れるの待っているようだった。少し途切れて再開する?と思った矢先、大阪人はこんな言葉を口にした。「ところで師匠さん、彼はあの組織に入るの?どうなん?」ウェストポーチから氷結を取り出しグビグビ飲みながら、師匠にこう聞いたのだ。なんだそれは?といろいろな疑問が浮かび上がる。師匠が険しい目になって、そう明らかに険しい目になって言う。「そんな予定はない、今のところはな」「そうなんや、まぁそれはそれでええねんけど。無理強いするもんでもないし、まぁ負け戦続きやしなぁ~」「スマンな少年!二三日滞在してるから、いや?一週間になるかもしれんけど、またくるわ!」「ええか?少年!人生の幸せは食卓とベッドの上にあるんやで?今から人生楽しんどきや!ベッド言うたらやること1つやろ?」何だったんだ、あの大阪人は。そう思いながらも、これはもしかしたら何かに巻き込まれるのか?などと大阪人の「あの組織」という言葉が妙に引っかかりながら、そしてここで辞めておけば良かったのかもしれない、などと後に後悔する非日常に入っていくのだ。いや、入らざるを得なかったのだ。食卓とベッドの幸せを守るために。2016.07.11 14:26
師匠と弟子3(短編小説)(2章 色々な考え方)この不思議な本屋にアルバイトに来て師匠と出会い、ちょうどに1ヶ月がたった。飲食スペースでの談義、講義、議論は毎日のことだし、何人かの客は私にいろいろと話しかけてくれるようになった。先日のイデア論のオヤッサンと私は呼んでるのだけど、その客も私がイデア論を調べたことに上機嫌になり、さらなる講義をあれから数日聞かされた。まったく…いい迷惑のはずなんだけど、実はその話の半分も理解できてないのだけど、それでも知らないことを知るという楽しみを覚えてしまったことは事実だ。ただし理解は追いついてないし、夕方頃には何人かに講義を聞かされて、それが客同士の議論になり、これだったら大学の勉強のほうがまだ簡単だった…と思えるほど頭を使い、バイトが終わる頃には自分の頭から煙が出てるんじゃないか?なんて思うほどだ。さて、話を戻そう。私がイデア論に興味を持った、という話は常連客にまたたく間に広がり、客の大半が私にこう聞くようになった。「理性に限界はあるかい?ないかい?」私の答えはいつも同じ。ブスッとした顔で「わからない」と答えるのが精一杯だ。客の大半も少しからかいの意味も込めて言っているようだったので、こういった対応は逆に面白がられたし、目の前でクスクス笑う客だっていた。そのたびに顔が赤くなったのは言うまでもない。ある日、同じような質問をしてきた客がいたので、逆に聞き返してみた。「貴方はどう思うのですか?」わからない、と言ってばかりじゃ私のプライドだって多少は傷つくし、逆に聞き返してやろうなんて短慮を起こしたのは、私はまだ子供だったに違いない。その言葉を言ってから数秒後に私はまたしても後悔の渦に巻き込まれるのだ。男は飄々とした風体でふち無しメガネ。40台代くらいだろうか?白いYシャツにジーパンという、いかにもラフな格好の細い男だ。「ふむ…私は理性に限界はあるとわきまえてるよ。私の専門は自然科学だがね、それでも科学を論じるのに哲学が必要な場合もある、いやむしろ科学と哲学は突き詰めていくと、同じ世界を別々のところから、別々の視点から見ているのにすぎないのかもしれない。」男はスラスラと自分の回答を、こちらの態度すら気にせずに述べていく。よっぽど言いたかったのか、それとも男にとってはこれは自然過ぎる問だったのか。どちらにしてもこれはきっと長いぞ、と覚悟を決める。帰る頃には私の頭からまた煙がプスプスとのぼっているに違いない。男は意外な言葉を発した。「君は大学に行っていたみたいだが、専門は何だったんだい?」私は恐る恐る、いやこういうパターンは初めてだったので面食らいながら「経済学部です」と答えると男はまた質問をする。「ほう、どの系統の?新古典派かい?ケインズかい?いやまぁ…今の大学だと新古典派だろうね。ひどく退屈な授業だったろう」そう言うと男は笑いながら更に言葉を続ける。「ここで聞いた話と大学教授の授業、どっちが面白かった?」と。私は即答する。「ここの話は難しいけど面白い。授業よりはよっぽど」男お話によるとこうだ。色々な考え方はあってもいい。しかし人間は2000年、いやそれ以前からいろいろ考え、いろいろと追求してきた。自然科学の分野においては積み重ねが理性の幅を広めてくれるが、社会科学においては人間への理解というものが大切で、それはたくさんの経験を積まないと理解が出来ないのだ。その意味において人間の理性は無限大ではありえないし、必ず正解を見つけられるとは限らない。社会科学における真実とはいつもいびつな形をしていて、それを正確に捉えられるのは理性ではなく、多面的に検証し、その検証を出来るだけの常識を身に着けていることだ。それは経済学も同じだ、と言う。「そんな話は初めてです。モデル、理論そういったものを暗記するだけで精一杯で」と言うと男はまた「そうだろう、そうだろう」と言いながら笑った。「私は経済学なんてものは専門じゃないので、大きなことは言えないがね。経済学とは人の生きる営みの集合した学問だろう?であれば基本はやはり人というものの本質に迫らなければいけないんじゃないか?人の社会は私は複雑系の自然科学としても捉えられると思っている。そういった意味で理性とは何か?を最初に考えるのは良いことだ。これを読んでみたらどうかな?」男は本棚に本を探しに行きすぐに戻ってきた。そこには一冊の小さな、これだったら読みやすいだろうなと思わせるサイズの本が手に取られていた。表題は「保守ってなんだろう?」いやに政治的なタイトルだなとは思ったのだが、男から手渡され初めに、の部分だけパラパラめくる。どうやらコールリッジという19世紀くらいの人の研究本らしい。男はニカッと笑いながらこう言う。「これは君がここで一ヶ月、アルバイトを続けたお祝いだ。なんせ店主があの寡黙さだからね。ここに来るアルバイトは1週間とたたずに、ほとんどが寡黙さに耐えられずにやめてしまうのさ。読む本も普通の若者には無いしね、この店は。一ヶ月も続いたアルバイトは何年ぶりだろう…というよりいたかな?」と、そこに師匠が二階から降りてきた。「友島さん、ちゃんとお代は払っておくれよ。プレゼントならね」そう言って二階にまた登っていく。それだけを言いに来たのか…小難しいだけじゃなく、わからない人だというのが未だに正直な感想だ。だけども初めて知った客の名前は友島というらしい。なによりプレゼントというのがこんなにうれしいものだとは思っていなかった。読まなきゃいけないのは、少々重荷だけど、などとうそぶいてみる。きっと薄めの小さな本、というのも友島さんの気遣いなんだろう。「じゃぁな、若者。読んだら感想を聞かせてくれよ!」そう言って友島さんは会計を済ませ、店を後にする。おかしいな、そう言えば友島さんと話をし始めたのは4時くらいだったはずなんだけど、いつの間にかもう夕暮れを通り越して夜になってる。私は階段のそばに駆け寄り「そろそろ閉店の準備しますね!」と大きな声で呼びかけると、いつもの様に「あぁ、たのんだよ。帰る時に声をかけてくれ」とお決まりのセリフが師匠から返ってくる。私はつい、調子に乗っておどけた声で言ってみた。「あの~僕にプレゼントは?」師匠は呆れながらこう言う。「なんだい、小難しい本を2冊も同時に読むのかい?おまえさんの脳みそじゃまだ無理だ。今度だな。わかりやすい本でも選んどいてやるよ。それより帰る時に給料取りにきな。いらないなら結構だがね」心なしか師匠の声がいつもより嬉しそうだった、というのは私の勘違いだろうか?なんにせよ私はこの本屋で初めての給料と、そして友島さんからプレゼントされた本を握りしめて帰宅の途についたのだ。やけに今夜は月がきれいに見えるな、などと少々キザったらしい感想を口にすることで、自分の気持ちを確かめるように。2016.06.16 16:08
師匠と弟子2(短編小説)(1章 変わった客ばかり)師匠の本屋には小さな飲食スペースがある。本屋で飲食していいのかどうか?というよりはこれは本来飲食スペースだったのだろうか?といろいろ疑問が出てくるが、客がそこを飲食スペースだと認識していて、実際にコーヒーを飲みながら本を試し読みしていたりするのだからそうなのだろう。本屋のアルバイトは仕事としては、ネットで言われているように本当に楽だった。大体、一日に10冊も20冊も売れるわけでもない。漫画も週刊誌も無いんだから当然なんだが。店番を任されてもレジに客が持ってきた本を打ち込んで、お釣りを渡してとそんな作業を一日に数回するだけなので、はっきり言って暇だ。こうなってくると漫画が無いのが恨めしく感じるし、時間つぶしに小難しそうな本を読む、なんて気にもならないので自然とやることは客の観察になる。この本屋は変わった客ばかりだ。本は売れないのに、客足は途絶えない、というより誰かしら飲食スペースで談義していたり、議論していたり、試し読みしていたりといった具合だ。何を喋っているのか?なんて最初こそ興味はなかったが、話題は哲学、政治、軍事、思想、経済、歴史といわゆる大学で言えば文系と呼ばれる話題が多いようだ。「そりゃそうだ、だって物理や科学の本だってないんだから…なんだって、こんな辺鄙な品揃えにしてるんだ?」一人で退屈の中で「やれやれ…」と肩を少しすくめてみせる。「おい、君」「正確な正三角形は書けるかい?」一人の男が突然私に喋りかけた。見た目は40代から50代前半といったところだろうか?良い風に言えば恰幅のいい、悪く言えば小太りの、いつも来ている、そしてどこにでもいるようなニコニコと笑みを絶やさない普通のオッサン、というような印象の客が唐突に、そして意味の分からない質問を投げかけた。一応これでも大学はいってたし、正三角形の定義くらい私だって知っている。いや、普通に考えれば小学校か中学校で習ったはずだし、そんなものは誰にだって書ける、と言うようなことを答えると、男は少しがっかりした顔をしながら先ほどの私と同様、肩をすくめる動作をした。からかわれているのだろうか?なんて一瞬思ったのだけど、この男の風体はそうだとは感じさせないし、何よりこの男は一応、客だ。不快だと態度に出すのも不味いだろうと思い直し、聞いてみた。「あの…意味がよくわからないのですけど…」言葉を発した瞬間の私の素直な心境は「しまった…」だった。なにせここ数日、この本屋でアルバイトを始めてから観察していてわかったことは、ここの客は談義、議論、講義が大好きな客ばかりだし、それに巻き込まれることは避けようと、本能的にしていたのかもしれなかったのだけど、正三角形なんてキーワードからそう繋がるとは思いもしないじゃないか!「イデアという認識を知ってるかい?古代ギリシャの哲学者プラトンが説いた説なんだがね…」正直な所、男の話はよく覚えていないし、理解が追いつかないと言えば正確な表現になるだろうか?たっぷりと1時間ほどは話を聞いていただろう。ただ不思議と退屈な話ではなかったし、何かSF小説の一コマを聞かせられているようで、ドキドキとした高揚に似た気分が私の中にあったのも事実だ。イデア論か…とその名前だけは覚えたし、メモをしておいて帰ったらネットで調べてみようという気には、少なくともなっていた。何よりもそれを語っている時の男の表情、しぐさ、そして印象は大学のどの教授よりも情熱的で、それでいて優しそうだったというのが原因なのかもしれない。そんなことを考えていると師匠が二階から降りてきた。「あぁ、正三角形の話が二階まで聞こえてたよ。おつかれさん」師匠はそう言うと煙管を取り出し、一服しながら「なんだ、メモしてるじゃないか。イデア論を調べるつもりかい?」と優しげで、そして枯れた眼光で私に質問した。そして客がいないのを確認するとポットからコーヒーを2つ入れて、私に飲食スペースまで運ぶように無言のまま煙管でジャスチャーし、座るように促した。「あいつは昔からそうで、話始めると長くなる男だ。まぁ…もっともここの客の殆どがそうだがね」「少し興味を持ったのなら、簡単にだけ教えてやろう。イデアというのはこことは違う世界だ。そうだな…全ての理と真理が存在する世界、とでも言っておこう。これは哲学の話だ」「ふむ…長話をするつもりはないから安心しなさい」こちらの心を見透かされているようで、少し気恥ずかしくもなったのだけど、師匠は普段から言葉が少ないし、なにより雇い主と話をしない空間というのは22歳の私には焦りのようなものがあったので、むしろ話をしてくれるということで安堵感に繋がった部分があったのは事実だ。「プラトンは誰もが認める偉人だ。彼の正三角形の例えは、理性でそれがある、と認識できても現実には無いこともある、とたったそれだけの話しだ」「その理性がどこから来ているか?と考えると、プラトンはそれがイデアから来たのだという。今の言葉で言う暗黙知というやつだな」ここまではなんとなく理解が出来るような気がする。いや、理解した気になれた気がすると言ったほうが正確なのかもしれない。師匠はコーヒーをすすりながら、煙管にまた葉を詰めて一服し、もう夕暮れになろうという外の軽い薄暗さを遠い目で見つめ、最後にこういった。「そろそろあがる時間だな…まあ、興味があるなら、この続きは明日だ。少し自分の頭で考えてみるといい。」私は夕暮れのオレンジ色の景色の中、時々空を見上げながら師匠の言葉、そして客の男の言葉を記憶から掘り出し、反芻し、思考を巡らせ、様々な言葉とベクトルに翻弄され、グルグルと同じ所を巡りながら、それでいて出口があるはずだ、という確信のもとに思考の渦に飲まれていく。大学ですらこんなに頭を使ったことはなかったし、就活だってそうだ。一つだけ理解できたことは、今まで自分が考えるということをあまり重視してこなかった、いや、時間や単位、おべっかや体裁に追われて、そういう機会が殆ど無かったということだけだった。面接の時に師匠は「知らないことを知っている」と言ったが、今はじめてそのことを知ったのかもれない。こうして私と師匠の小難しく、奇妙な関係は、正三角形を正確に書けない変な客によって一歩前進したわけだ。2016.06.08 20:05
師匠と弟子1(短編小説)(序章)師匠はいつも小難しいことばかりを言う。私が師匠の弟子になる選択をしたのはある晴れた、青空の広がる4月の事だった。大学を卒業したばかり、就活なんてあまりしてなかった、と悔し紛れに言うけど、実はことごとくお祈りされただけの話だったし、なんだかもう自分の人生どうでもいい、なんて思いも少なからずあった。母からは「大丈夫だから」と哀れみと同情に似た励ましを貰ったが、それすら私には辛かった。父からは無言のプレッシャーをつきつけられているように感じたし、毎日フラフラしているわけにもいかない。そんな中で弟子入り、というと正確ではない、単にアルバイトとして街角のどこにでもある普通の本屋にアルバイトに入った、というだけだ。ネットで「本屋のアルバイトは楽」なんて書いてあったから、という理由もないわけではない。いや、それだけが理由だと言っても過言ではない。この奇妙な師弟関係はそんな私の怠惰と人生の幸運、いや不運が巡りあわせたものだったのかもしれない。面接の時にはややドキドキしながら電話を入れると、履歴書は不要だという。「バカな!そんなバイトがいまどきあるものか!」ときっと大勢から言われるだろう。ここからが師匠の変なところだ。その人の履歴は知性によってのみ測られるものであって、だから履歴書なんぞいらん、と言うわけだ。まったく意味のわからない所に電話してしまったものだ。知性によって測られると言われると、どうにも何か本でも読んで自分をアピールしなきゃいけない気持ちになるから不思議なもんだ。とは言っても面接日時は電話をしてから次の日だったので、しょうがないから大学時代に勉強をしていた、いやしてるフリをしていた経済学の教科書を開き、なにかアピールできることが無いかどうか?と調べるフリをしてみたりするけど、結局は母に呼ばれいつもの夕食を食べた後には眠くなり、何もしなかったというのが実情だ。だいたい街の本屋にバイトするのに知性を測られるなんて、そんなことはどうせあるはずがない、街の本屋の主人の知性なんて大したことは無いだろう、そんな思い込み、いや常識的な判断があっただけなのだが。こう見えても私はそれなりに怠惰で俗情的で就活にすら受からないけど、それでも常識人のつもりだ。ただ面接に行くのに就活ならスーツ一択だけど、街の本屋のアルバイトにスーツはやや大仰かと悩んだりもした。結局、生活感のある普段の服でおとなしめのもの、そして履歴書は不要と言われたが一応持っていくことにした。なにせ就活に失敗した負い目で父からは無言のプレッシャーを受けているのだ。バイトくらいはして家にお金を少しくらい入れないと、このプレッシャーはなかなか跳ね返せないだろう。面接の日は晴れだった。約束の時間の10時前には本屋のある公園の前、子どもたちが遊び、母親と思しき人達が談笑を繰り広げていた。どれもこれも日常の風景といった感じで、まさか自分がこれから非日常が日常になる、などとは思ってもみない自分自身に今更ながら同情を禁じ得ない。10時前、本屋に入った時にその異様さにあっけにとられたというのは、決して過大な表現であったとしても誇張ではない。まず漫画がない。実用書もない。週刊誌も新聞もない。あるのはよくわからないクラウゼヴィッツだとかトクヴィルだとかハイエクだとか、少しくらいは経済学をやっていたので知ってる人もいたが、そういう本当に売れるのだろうか?と心配するような要するに、小難しく意味の分からない本ばかりだ。リカードの比較優位論で言えばそういう風に特化している、と取れなくもないが、ランチェスターの経営学本風に言えばニッチ戦略と言えなくもないが、とにかく異様なのだ。品揃えが。本当にアルバイトを雇ってやっていけるのか?とやや訝しみながら面接は始まった。私は「あの…はじめまして、よろしくお願い致します。」とややぎこちないながら、就活にこれでは失敗するはずだ、と自分自身で思いながら履歴書を差し出す。師匠は無言でいらない、必要ないとジェスチャーをして唐突に質問する。「知性とは何だね?電話の時に言ったはずだ、答えてみなさい」その老人は煙管やパイプでも咥えたらきっと似合うだろうな、というようなある意味貴族的、いや古風?そんな風貌をした小柄な老人だ。年は恐らく60歳、いや70歳くらいなんだろうか。丸いメガネをかけてその瞳にはやや優しげな、そして枯れた眼光を宿している。いかにもこの偏屈な本屋に合いそうな老人であることだけは、そして恐らくあまり世間から常識人と評価されないような、そんなことだけは直感的に感じたのは今でも間違っていないと思う。「知性…ですか?」22歳の私にそんなことを尋ねるなんて、随分無茶な質問だ。就活にも失敗したくらいの知性だ、などと一瞬思ったが、それを口にだすのもはばかられる。いや、はばかられると言うよりは出したくない、と言ったほうが正しいんだろう、などと一瞬のうちに思いを巡らせ、こういった場合にどう答えたらいいんだろう、と考えるとどうもなかなか答えが出ない。師匠はおもむろに煙管を取り出し、宝船と書かれている袋から葉っぱとを取り出して火をつける。「時間はたっぷりあるんだ。心ゆくまで考えてから答えなさい」そう言いながらプカっと煙を吐き出し、外を見つめ煙管の灰を落とす。時計の音がやけに大きく響く。カチカチカチカチと。私の思考はいかにバイトに合格するか?よりもむしろ、今まで自分の培った勉強の成果をこの老人に見せることに集中していた。とは言っても勉強するフリをしていただけだから、ろくな知識なんて出てこない。巡り巡って出した言葉に私自身がびっくりしたのだけど、わからない、という言葉が私から紡ぎだされた。「そうか…わからない、か。なら採用してもよいな」自分自身の言葉にすらびっくりしているのに、老人は採用してもよいという。唖然とした顔で、だったと思うのだが、何故?と聞く前に老人が喋り始めた。「わからない、ということをわかっている。22歳ならそれで十分だ。シフトは好きな時間、好きな時に入れなさい。ここで接客していれば、そして仕事していれば嫌でもわかるようになっていく。良い方向にも悪い方向にも。あぁ、でもシフトは一週間前には出すように。時給は750円だ。それ以上は出せないし、まぁバイトの募集紙にも書いてあるとおりだ。君はここで時給以上のものを得る、それだけは断言しておこう」そう言うと老人は静かに席を立ち、シフト表を私に出して好きな時間帯を書きなさい、そしてそれはレジの上にでも置いておいておくれ、という。ここから私と師匠の奇妙で小難しい関係が始まったのだ。2016.06.07 15:13