師匠と弟子6(短編小説)

(5章 関西人の講演)

奇妙な本屋に出入りする関西人に、講演を聞きに来いと誘われたのは昨日のことだ。なし崩し的に受けてしまったのだけど、いざ行くとなるとやはり正直足が重い。

折角の休みで、家にいくらかお金を入れても遊べるお金はあるし、あのひょうきんな関西人の講演を聞きに行くくらいなら、友達でも誘って遊びに行ったほうが…と思ったのだけど、友達は全員就職していて忙しく、そもそも最近は就職に失敗した引け目から、全く連絡していなかったことに気がつくのに、大して時間はかからなかった。

全くもって朝から憂鬱な事実に気がついてしまったものだ、と一人つぶやきつつため息を吐く。しょうがない、講演に行くかと重い腰を上げる。


名刺と一緒にもらった講演の案内を見てみると、昨日のホテルじゃないか。あれだけ酔っ払っても関西人が、余裕しゃくしゃくだったのも恐らく、このホテルに部屋をとっているからだろう。

あの関西人は金持ちなのか?そうなのか?そういえば、昨日のラウンジも目玉が飛び出るほどの値段でびっくりしたのを、ケラケラとこっちを見て笑っていたっけ?などと思い出す。

講演はお昼の13時から。まだ時間に余裕はあるし、父も母も今日は家にいない。ありあわせの材料で軽く朝食を作るために台所に入る。


冷蔵庫に入っているパンにとろけるチーズ、きゅうりの千切りとレタスのグリーンサラダ、そして牛乳。簡素な食事を作っている時にふと気になる。

「牛肉はそもそも使ってないから、BSEとか関係ないよな?」

なんとなく材料の裏の表示を見ると「チーズ(問合せ)」「小麦(問合せ)」という文字がある。何のことだろう?今まで気にしたこともなかった。

グリーンサラダには青じそドレッシングをかけて、そして牛乳とパンを頬張る。目玉焼きも作りたかったんだけど、今日は卵の在庫は我が家にゼロだからしょうがない。


料理は母が「料理くらい出来ないと、将来一人暮らしした時に一人前とはいえない」と教えてくれた。

小学校4年生から台所で手伝いはしているし、時々は母と父に料理を作ったりもしていた。母はそのたびに褒めてくれたが、父は仏頂面で美味しいとは一言も言わず、黙々と食べているだけだったのは、母に言わせるといつもの光景らしい。

家庭料理位ならいつでも作れるし、少し小洒落たものなら、母よりは上手く作れる。例えばペペロンチーノとかね。

大学時代のほんのひと時の彼女、どうしているか。一度だけ両親の旅行中に家に遊びに呼んで、ご馳走したっけか。随分と喜んでくれたことは覚えている。もっともその3ヶ月後には別れたんだけれども。


そんなことを思い出しながら、街中をブラブラしながら講演に向かおうか、と家を出る。相変わらず鬱陶しいくらいに、夏の太陽は頭上からこれでもか!と照りつける。汗が吹き出し、散歩とかブラブラするというのが、この季節には似つかわしくない単語だと改めて思う。

夜の歓楽街を通り抜けると、昼間はこんなにも人気がないのか、というくらいに人気がない。風俗の呼び込みがダルそうに、そしてやる気なく突っ立っている。

あれだけ昨日の夜は騒がしかった歓楽街、昼間はこんなものなのか?と思いながらも、ホテルの方に少し急ぐ。あまり良くない人相の連中が、ちらほらと視線に入るから、と言うのが大きな理由だ。


ホテルの前につくとちょうど12時30分。まだ時間もあるしどうしようか?とホテルのロビーで考えていると、後ろからまたもや不意に声をかけられた。

もっとも関西人みたいなチャラい感じではなく、聞き慣れたあの声だ。

「なんだ、お前さんも来たのか」

師匠は静かに横に座る。ため息をフーっと吐くと、まったく、といった表情を見せながらこう聞く。

「講演の内容は知ってるのかい?実はね、私も出るんだよ」


青天の霹靂とはこのことで、というよりも講演のチラシは見ていたし、何名かが出演するのは知っていたけども、今更ながらに師匠の名前を知らないことに気がつく。

他の客も関西人も「師匠」とか「店長」とかしか呼ばないし、私もほとんどは「店長」で済ましていたのだから。

そしてもう一つの驚きは、師匠が人前でしゃべるということだ。この寡黙な人が、人前で本当にしゃべるんだろうか?などと心配すらしてしまいそうなくらいに、驚いた。


そうこうしている内に師匠に会場に案内され「まぁ楽しみなさい」とだけ言われ、パイプ椅子に座る。

なかなか前の方だな…などと思って周りを見渡すと関係者席と書いてある。確かに関係者では有るんだが、ここに座っていていいものかどうか?というと非常に微妙で、居心地ははっきり言ってかなり良くないし、落ち着かない。


関西人がそんな私の居心地など知ったことではない、という風に突然に登壇する。

「いやぁ~皆今日は集まってくれてありがとうな~。今日の予定はパネルディスカッションやら、自分・・・じゃなかった私の講演やらやで。ほんでゲストとして何人か来てくれてるから、ソッチの方も楽しんでな~」

登壇した時に驚いたのだけど、昨日と同じ甚平だ。この関西人はTPOとかマナーとか知らないんだろうか?いや、それ以前になぜ甚平?と思ったのだけど、講演の客でそれを問題視するような視線は1つもない。

そういえば師匠は先ほどあった時にスーツを着ていたし、なかなか様になっているような、そんな気がした。老紳士、そんな言葉がピッタリ合うような、そんな雰囲気だったように思う。

あのチャラい関西人には、甚平がお似合いなのかもとも妙に納得がいった。そうしてこの奇妙で縁のある講演会は始まりを告げたのだ。


途中で専門的な用語なども出てきて、正直すべてを理解したとは言いがたいのだけど、それでも講演の趣旨は理解が出来た。

つまり移民政策をどうするのか?ナショナリズムという土台が崩れれば、近代国家は立ち行かない、TPPによって日本農業は壊滅的な危機にある、そしてそれらを是正するには民衆、大衆の力が必要なのだという内容だった。

驚いたのは、印象として師匠も、そしてパネリストも、関西人も右翼と呼ぶには程遠いということだった。

マスメディアは連日のように移民容認論、多文化共生論を唱えていて、それに反対する存在は全て右翼的とされていたけれども、私が見ても彼らのパネルディスカッション、主張は非常に穏やかで、そして静かな熱さと知性を物語るものだったと思う。


中には食卓の話も出てきた。TPPによって農業が壊滅的なこと、危ない食品が入ってきていること、BSE牛肉の中止は民意に政府が押されてということ、食品表示法で原産地すら記載できなくなったこと。

他にもグローバリズムによる政治の破壊、99%対1%という話、その変化の過程、過去にどうなったのか?

話が濃すぎて追いつけないのだけれども、それでも日本が今、本当にまずい状況になっているということだけは、心の底から声が聞こえてくるようだった。

私でない私の根源的な何か、それが呼び起こされ、揺さぶられ、刺激され、熱くなり、熱を帯びて再び揺さぶる。

連鎖的に、いや会場の空気のせいも有るのだろうか。しかしこれは空気のせいだけじゃない、そのことだけは断言が出来る。


講演が終わったあと、楽屋から関西人が出てきて私をまたもや誘った。この時の関西人は私にはすでに、本屋であった奇妙な関西人ではなく、知性と愛嬌を持った存在として目に映っていたのは言うまでもないだろう。

楽屋に入り、お疲れ様でした、凄く良かったですと伝えると、師匠が穏やかで、静かで、そして優しくて枯れた目でこう言う。

「・・・・・・しょうないな。まったく。知ることを知ってしまったか」

「ただし、のめり込み過ぎないようにな」


関西人はケタケタと笑いながら「師匠、悲観的すぎやて!大丈夫やって」と相変わらず軽口を叩く。

彼はにこやかで、チャラいノリで、軽くて、愛嬌があって、そしてそのベールが私の目を曇らせ、彼の奥底にある情動と、悲壮なまでの覚悟を覆い隠していたのだと思う。

関西人に誘われ、歓楽街の飲み屋で、師匠を交えて私たちは話した。

師匠は酒が入ると少し饒舌になり、色々と優しく解説したり、教えてくれたり、そして時々悲しそうな目をしたり。

関西人はハイテンションに、そしてそれはこちらを気遣ってくれているかのように、私と師匠と関西人は朝まで話したのだ。


飲み屋を出た時はすでに太陽が、そろそろ今日も仕事をするといった感じでギラギラし始め、歓楽街の空気は淀んで人気もまばらになり、夜明けの青白さと太陽の暑苦しさが同居する、不思議な空間だった。

ぬめりと感じる空気、静寂さ、そしてこの楽しい思い出を私は一生忘れることはないだろう。

酔いどれ、ふらつきながら、師匠に家までタクシーで送ってもらうほどに厄介をかけ、楽しくも儚げな、そんな一夜が人の人生を左右するなんて、そんなことは思いもしないでベッドに入り、幸せを噛み締めながら、そして熱く動いた自分の心に充足しながら眠りに落ちる。


明日はきっといい日に違いない。そう、私は思い込んでいたのだ。

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