師匠と弟子4(短編小説)
(3章 人生の幸せは食卓とベッドの上にある)
最近は少しずつ本を読んでいる。友島さんに進められた本の内容は刺激的だったし、理解しやすく、かつ色々なエッセンスが散りばめられていると言う意味で、まるで知性のアトラクションと言っても良いものだったと思う。
あれから友島さんとは色々話をするようになったし、常連の客とも簡単な会話や挨拶はするようになった。時給の低さなんてものはあまり気にならないし、そもそも実家で生活しているので月に13万円も稼げればそれでいい、という実家への甘えもあり色々と読んでは質問し、知的好奇心を満たす生活が続いてた。
ただ経済の話は常連に質問してみても、よくわからなかったというより、大学の経済学部で学んできた内容と乖離していてにわかに思考しがたい、というのが正直なところだった。
例えばこうだ。常連同士が自由貿易のことについて飲食スペース、いや飲食スペースになってしまったのであろう所で議論していたが、当然ながら私は「自由貿易はいいものだ」と思っていたし、リカードの比較優位論からもそれは自明だと思っていた。
しかし耳を澄まして聞いていると、何故か自由貿易の話から国際金融の話になっている。私はレジから飲食スペースに近づき、常連に質問をしてみた。
「リカードの比較優位論からも、自由貿易はいろいろな国を豊かにするのでは?」
常連の答えはこうだ。
「あまりにもリカードの比較優位論は素朴すぎて単純化しすぎている。国際政治学、社会学的には正直どうかな…」
彼が言うのはこうだ。
仮に比較優位が成り立ったとしても、それはその国の産業を特化させるということじゃないか?そうすると国民の需要は誰が満たすんだ?一国の独立はそれでなるのか?
そもそも国際社会学的に理想主義として経済依存で戦争がなくなるというが、第一次世界大戦前のドイツとイギリスは確か戦争前まで貿易はお互いに1位と2位だったはずだぞ?
歴史的には先進国は保護主義的な貿易政策を経て先進国になったわけで、歴史上自由貿易によって先進国になった国というのは…そうだな、中国を先進国と定義するならいくらでもあるがその定義は正しいのかい?そもそも先進国の定義とはなんだい?
私は思わず
「ちょっと待ってください…色々いわれすぎると理解が」
と言葉を遮ると常連は「はは、それもそうか」とようやっと講義の時間が終わったようだ。まったく、これだからここの常連はと、心のなかではそう思いつつ色々と考えてみる。
と考える前に「そう言えばもう一人の議論の相手はあまり見たことがない人だ」と気づくのだが不思議な感じのする人だ。
いや不思議な感じがするというより、夏のこの暑い時期でも本屋に甚平で来るというのがそもそも変わっているし、年齢もどうも読みづらい。
20代後半にも見えるし、30代中盤にも見える。師匠とおんなじ煙管をふかしながら、静かに、そして興味深そうにこちらをマジマジと観察している感じだ。
と、そこに師匠が二階から降りてきた。
「いや、すまんね遅くなって。ところで対談内容は決まったのかい?なんちゃら動画…なんと言ったか…まぁその動画のためのリハだろう?」
どうやら甚平姿の彼に声をかけているようだ。
「いやぁ、すんません!三幣さんとは東京でしか会えないもんで。ここ使わせてもらってます。相変わらずお元気そうでよかったですわ。東京はここしか知らんもんで」
関西弁か…きっと大阪から来た人なんだろうけど、動画ってなんだ?だとか色々疑問が湧いてくる。
というか大阪から来たのに荷物がウェストポーチ1つかよ!とか思ったのだけど、よくよく考えて見ればきっとホテルに寄って荷物をおいてきてるんだろう。
というかもう一人の常連の名前は三幣というのか、などと彼の素頓狂に明るいキャラクターと、師匠の知り合いだという事実と、大阪人ということでどうも理解が全く追いつかない。
「あの、師匠?この人は大阪からで?」
と聞くのが精一杯だったのだが、師匠が答える間もなく大阪人の彼は「そやで~。なんや珍しいか?」と茶化し気味に答えてくる。
「しかし師匠さんまた若い子入れたなぁ」
「なんや、あの~続いてるの珍しいなぁ、こんな本屋で」
「師匠さん、もうちっと雇ってる子に喋ったらんと、可哀想やで?」
さっきまでの私を観察する瞳は何だったんだろうというくらいに、この大阪人はしゃべりまくる。はっきり言うと今までの常連にいなかったタイプと言えるし、あまり私もこの手のタイプは得意ではない。
ただその若めのノリとおちゃらけた雰囲気は、質問すると講義や議論にある常連たちとは明らかに異質で、学問畑の人間とも思えない雰囲気だったというのは正直なところだ。
と、ここまで考えている間にようやく大阪人のおしゃべりが途絶えた。師匠は?というと「ウンウン」と頷いていただけだし、もう一人の三幣さんと言ったか、彼も「ウンウン」と大阪人の話が途切れるの待っているようだった。
少し途切れて再開する?と思った矢先、大阪人はこんな言葉を口にした。
「ところで師匠さん、彼はあの組織に入るの?どうなん?」
ウェストポーチから氷結を取り出しグビグビ飲みながら、師匠にこう聞いたのだ。なんだそれは?といろいろな疑問が浮かび上がる。
師匠が険しい目になって、そう明らかに険しい目になって言う。
「そんな予定はない、今のところはな」
「そうなんや、まぁそれはそれでええねんけど。無理強いするもんでもないし、まぁ負け戦続きやしなぁ~」
「スマンな少年!二三日滞在してるから、いや?一週間になるかもしれんけど、またくるわ!」
「ええか?少年!人生の幸せは食卓とベッドの上にあるんやで?今から人生楽しんどきや!ベッド言うたらやること1つやろ?」
何だったんだ、あの大阪人は。そう思いながらも、これはもしかしたら何かに巻き込まれるのか?などと大阪人の「あの組織」という言葉が妙に引っかかりながら、そしてここで辞めておけば良かったのかもしれない、などと後に後悔する非日常に入っていくのだ。
いや、入らざるを得なかったのだ。食卓とベッドの幸せを守るために。
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