師匠と弟子5(短編小説)

(4章 牛丼屋から牛肉がなくなった日)

今日は1週間ぶりになにもすることがなく、だからといって何か予定があるわけでもなく、あの奇妙な関西人にあってから数日、彼のことははっきり言うと記憶の片隅にわずかばかりある程度だ。

生で関西人を見たのなんて初めてだったし、大学では関西人も標準語が普通だったので中々のインパクトだったわけだが、それも少し驚いた、と言う程度だった。


自分の部屋で何気なくTVをつけると、ニュースが入ってくる。どこで交通事故だとか、どこで事件があっただとか、その事件は移民だったとか。そんなくだらないことばかり…と思った瞬間ニュースキャスターが告げる。

「日本政府はアメリカの再びのBSE問題で、牛肉の輸入停止措置を取りました」

BSE…なにか聞いたことがあるなと思いネットで検索すると、ツイッターではえらい騒ぎになっているようだった。なんでも牛丼屋から牛肉が消えるだって?そんなバカな、と思いつつ調べるとどうも狂牛病というやつらしい。

なんでもその牛肉を食べると脳みそがすかすかになるだとかなんだとか…中々怖い話だ。


とは言ってもそんなにはこの時は驚かなかった。

2008年のリーマン・ショックから世界は立ち直ったし、相変わらず極右の政党が欧州やアメリカで頑張っている、とは言っても日本政府だって既に移民を受け入れて7年。街のアチラコチラで中国語を聞くようになった以外は、時々移民が事件を起こすってことくらいだ。


特にやることもなく、街に散歩に出てみる。真夏の太陽はカンカンに照りつけ、うだるような暑さなのだけど、本屋のアルバイトと部屋の往復でクーラーに慣れきっていたので、むしろこの暑さが心地よいような気さえしていた。

ふと騒がしいので目を向けると、牛丼屋の前で中国語がけたたましく聞こえる。どうやら店員の対応を聞いていると、牛丼の値段が上がったことに、複数の中国人が束になって難癖をつけているようだった。

「まったく…たかだか数十円のことでよくやるよ。この糞暑い中で」


そうつぶやきつつ、流石に暑くなってきたので公園の噴水の縁に腰掛ける。途中で買ったミネラルウォーターを飲みながらボーッとしていると、不意に後ろから声をかけられる。

「よ!本屋の少年!なんや元気なさそうやな!!」

驚いてとっさに出た言葉が「まだいたんですか」だったのは、後から考えると相当失礼だが、関西人は意に介さず

「あちゃぁ~自分酷いな!おってもええやん?あかん?ええやろ~少年?」

と大げさにさみしげな顔を作り、こちらの顔を覗き込んでくる。


やや呆れつつ「少年なんて名前じゃありません」と冷たくあしらうと「ほな自分名前は?」とこの調子だ。

ぶっきらぼうに名前を告げると、演技でもここまで大げさにはしないぞ?という調子で

「えっ?自分も高橋なん?ホンマ?うわ~被っとる!自分で自分の名前を呼ぶのもなんかなぁ…もう少年でええやろ!なっ!?」

なんのために聞いたんだ!と思わずいいそうになったが、それを言わなかったばかりに彼はずっと私をそう呼ぶことになるのだ。

もっとも意趣返しに私は彼を関西人、と呼び続けることになるのだけれども。


関西人は相変わらず甚平姿、もっとも本屋の時とは柄が変わっていたが。そしてウェストポーチという格好だ。彼からお茶に誘われ、特にやることもなく涼みたかった、という不純な動機で誘いを受けることにした。

連れいていかれたのは、なにやら高級そうなホテルのラウンジで、彼は真っ昼間からビールを頼み、私にも聞いてくる。

「二十歳超えてるんやろ?ビール飲む?カクテルでもえーで?まぁソフトでもええけど」

丁重にお断りしてコーヒーを頼む。メニューを見て値段にギョッとしたのを関西人はケラケラと屈託のない笑顔で笑っていた。


ビールが運ばれてくると関西人はいの一番、グビグビと飲み「ぷはーっ!」と気持ちよさそうに声を出す。こんな高級そうなラウンジで、そういう飲み方でいいんだろうか?そもそもホテルに甚平とウェストポーチってどうなんだろう?と頭のなかに疑問がよぎるのを遮るように関西人が言う。

「少年、牛丼屋の騒ぎ見た?ほら、公園からすぐのところの」

素直に店員も大変そうですね、あんな数十円のことで、と返すと彼はやや深刻そうな顔をしてこう言う。

「これ、広がるで。中国人が移民でいっぱい来とるの知ってるやろ?あれな、政府は未だに高度人材とか言うとるけど、低所得層で日本語喋れんやつ多いねん。

んで東京やとあまり知らんやろうけど、地方とかやと中国人のスラムっぽいのもあるし、東京でもそういうところ、何箇所かあるやろ?

低所得層の中国人の生活、ひどいもんや。日本語ちょっとしか喋られへんから、仕事かて限られる。3Kって知っとる?汚い、きつい・・・・あともう一個なんやっけ?」


私が「危険です」というと「おお、そやった、そやった!少年よう知ってたな」と言いながら関西人は話を続ける。

「そんでな、奴ら豊かになれるおもて日本にきとんねん。でも物価も違う、仕事は選ばれへん、しかも使い捨てにされるわけや。給料かて良くない。

そやから中国人は狭いアパートとかに数人ですんで、食費とかも結構ギリギリなんちゃうかな?国への仕送りもあるしな。

要するに不満タラタラになっとるねん。もうそろそろ臨界点なんちゃうか?

そんでここに牛丼騒動や。安い!美味い!早い!が値上げしたわけや。ヘタしたら低所得層の中国人の唯一の娯楽やで?牛丼。」

「どうなると思う?」


チャラチャラしていた関西人が初めて見せた深刻そうな顔に、やや戸惑いつつも「わかりません」と答える。

「せやろな。でも多分えらいこっちゃになるで」

そう言うと関西人はため息を付いて遠い目をする。と思った次の瞬間にはニカっと笑いながらこう言う。

「せや!明日、自分休みやろ?俺、講演するねん。チケットあげるわ!暇やったらおいで!特等席用意しといたるしな。笑いあり、知識ありやで~?」


本屋の客には大学教授もいるし、彼が講演をするような人というのはある意味で慣れた驚きだったが、講演も甚平姿なんだろうか?とか笑いだとか、そこら辺にいじわるな興味がいって承諾すると、彼は最後に名刺を渡した。

「日本のコンサルタント」

聞いたこともないような職業だしと少し考えたが、この関西人には困惑させられっぱなしで、いまさら困惑したところで意味もないだろう、と自分を納得させた。

随分と長いこと話し込んでいたようだ。関西人はビールをしきりに頼み、一体何杯飲むんだ?というほど飲んでいたが、口調はしっかりしていたので大丈夫だろう。

大体、酔っ払ったフリなのか本当に酔っ払っているのか?彼のキャラクターを考えてみるときっとフリなのだろうと思った。


帰路につく頃には、街はネオンで煌々と照らされ、下弦の月が存在感なく宙にポッカリと浮いている。

気温は下がり汗ばむ程度ではない、それでいて熱気を街に放っていた。


街は酔っぱらいと中国語がけたたましく騒ぎ、シラフの人々は足早に家路を急いでいるようだった。

彼が言ったようにもしも真実が、オブラートにくるまれているだけだとしたら。人々がそれに気づかないふりをしているだけだったら。ふとそんな思いが頭に去来する。

気が付かないほうが幸せだったかもしれない、気がつかない幸せもある。そんなふうに思えるほど達観してはいなかったし、老いてもいなかったのだ。この頃は。


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